「東大女子が入れない東大インカレサークルに在籍する男子」について考えた話。

今日、出張先への飛行機の中でスマホを眺めていたところ、こんなツイートを見かけた。



確かに、10年前私が大学に入学した頃にも、4年前修士課程を修了した頃にも、そういったサークルは存在していて、きっと現在も存在し続けているのだろう。

私が学生だった頃にも、そういうサークルの存在になんとなく疎外感を感じたり、好きな人がそういったサークルで出会った女性と付き合い始めた時には「私は彼と同じサークルには入れないのに…」と悲しい気持ちになったりした記憶もあり、少なからずネガティブな印象を持っていたと思う。

むしろ、決してポジティブな印象は持っていなかったと言った方が正しいかもしれない。

ただ、そういうサークルに在籍する男子が皆、女性に「勉強ができないこと」を求めているという認識は少し違うのではないかと思う。

少なくとも私は在学中、自分より勉強のできない女性を好んで求めたり、自分より学歴が低いから他大学の女性と付き合っている、という東大男子に出会ったことがない。

東大女子禁制のサークルに在籍している男子も、特に学歴で女性を区別するようなこともなく、ただ極端に女子の少ない東大学内では競争率が高すぎるので、女性との出会いを求めて…というパターンや、学内のテニスサークルに入れず(確か、テニスの実力や盛り上げ能力の高さみたいなもので入部可否を決めるセレクションというものがあったような…?)結果的にというパターン、単純に知り合いの先輩がいるからみたいなパターンの人が多かったように思う。

そもそも「東大女子が入れないインカレサークル」というものが存在している点や、東大男子は学内テニスサークルに入るのが難しいという点、といった根の深そうな問題があることは承知の上で、このブログの論点はそこではないことをご理解いただきたいと思う。

話を戻すと。

私の経験のみを根拠にかなり偏見を混じえて言葉を選ばず語ると、「勉強ができない男性」や「中途半端に勉強ができる男性」こそ、自分より勉強のできる女性を遠ざけたがる傾向があるのではないかと思う。

私は地方の田舎の自称進学校出身で、自慢ではないが(自慢でもあるが)高校3年間、校内に貼り出される試験結果の順位表の一番上を一度も誰にも譲ったことがない。

そんな環境にいると、特に親しくしていない人たちからは「近寄りづらい」「真面目そう」といった印象を持たれることが多く、そういった面で悲しい気持ちになったことは少なからずある。

高校時代、唯一付き合っていた彼氏には「wakoと付き合ってると、色んな人に“一緒にいて楽しいの?”と聞かれる」と言われた。

「wakoと勉強の話すると落ち込むから話したくない」という受験前に言われた言葉にはとても傷ついた記憶がある。

高校時代の3年間、私は「勉強なんてできなければ良かった」「私も好きな人に“勉強教えて?”と可愛く言える女子になりたかった」と卑屈になってばかりだった。

そんな私が初めて、もっと賢くなりたい、と願ったきっかけは東大入学だった。

ひと括りに東大生といっても、脳の働き方が違うのではないかと思う程に賢い人から、私のように運と努力でなんとか滑り込んだような人まで、「勉強ができる」のレベル感はとてつもない幅を持っている。

そんな環境の中で、私のような人間は劣等感を感じてばかりだった。

そして、私ももっと賢くなりたいと切に願うに至った。

そんな中でも、やはり心が折れそうな時や投げやりな気持ちになることがあり。

そんな時、人は“下方比較”というものを求めて、自分とある程度近いレベル感で自分よりも少し下にいると思われる人と自分を比べて安心をするのだということを実感した。
(つまり、講義をサボってばかりで不可を取る人を見ても特に何も思わないけれど、自分と同じように毎日真面目に講義を聴いた上で自分よりも理解が浅そうな人の存在に安心する、ということ)

その心理に至ってしまうと、自分が優位に立ちたい、自己肯定感を高めたい、という理由でパートナーに「勉強ができないこと」という要素を求めてしまうのかもしれない。

高校生の頃彼氏に言われた悲しい言葉も、そう考えると理解できてしまう。

「勉強ができない男性」や「中途半端に勉強ができる男性」こそ自分より勉強のできる女性を遠ざけたがる傾向があるのではないか、と前述した理由はここにあるのだけれど。



ここまで自分の思考を整理しながら書いて、あれ、と気づいてしまった。

そうすると、こういった劣等感から「女子が他大生しかいないインカレサークル」に入る男子というのが存在する可能性がみえてきてしまった。

まさに件のツイートで言うところの“いい男”ではない男子、というものに含まれる気がする。

もしかすると、このツイートをした彼女の周囲にはこういう男子が多数存在していたのかもしれない。

そういった点も踏まえ、そもそも彼女の発言を全否定するつもりは毛頭ない。

且つ、後半の文章には全力で同意するし、彼女が伝えたかったのはこの部分だったのだろうとも理解している。
(が、結局ぶら下がっているリプを読むと、前半にばかり反応が集中してしまっている印象を受ける。)

ただ、私が学生生活を共に過ごした大切な友人たちが「東大女子の入れないサークルに所属していた」という事実だけで、妙な誤解を受けるのはなんだか気分が良くないな、と思ってしまったという話。

ちなみに、私の「思慮深いところ」が好きだと言ってくれる、大学の同級生である夫は、「東大女子禁制ではないのに、結果的に女子は他大生しかいなかったインカレサークル」の出身である。

他大の女子が多いと、東大女子が遠のくような傾向は確かにあると思う。

逆に東大女子がいると他大女子が遠のく、という話も聞いたことがある。

もちろん、東大も他大も関係なくバランス良く女子が存在し、良好な関係で活動しているサークルも多く知っている。

かく言う私は、新入生の頃、インカレサークル、学内サークルのどちらも見学したのに、なんとなくインカレサークルに自分の居場所はないような気がするという卑屈な理由と、単純に学内に女の子の友人が欲しいという純粋な理由から、結局学内サークルに腰を落ち着けた東大女子だった。

私のような性格の良くない東大女子には、インカレサークルでキラキラしている他大の女子を「私の方が賢いし」と少し上から目線で見てアイデンティティを守っているようなところも少なからずあったのではないか、と思ったりもする。

これは社会人になった後の自省である。

そろそろ眠くて、支離滅裂なことを書いてしまっている気がするので、この辺りで止めておくのだけれど。



最後に。

最近、Twitterなどで断定的な強い表現を使う人が多いと感じて、言葉の圧に疲れてしまうことがある。

日々溢れる情報の中で、埋もれずにインパクトを与えるには必要なことではあると思う。

件のツイートも、「いい男いない」ではなく「いい男少ない」や「いい男ほとんどいない」という表現であればきっと私も読み流していた。

曖昧な表現で逃げるのは日本人的な思考ではあるけれど。

それでも私は、不確かな情報から特定の人物や集団を断定的に批判する行為が好きではないのです。

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